「えっ、それって太陽公園にある白鳥城のことでしょ?」と思われたそこのあなた、アンテナが高いようだがそれではない。
LINK【特設ページ】播州地域一覧
北部夢前町のある山の頂に、「赤松氏城跡」として国の史跡に指定された山城がある。
「置塩城跡」だ。
これまで様々な山城跡へ訪れたことがあるが、置塩城跡の規模は比較にならない程広い。
その歴史を振り返りながら、現地への登山ガイドを本日は行いたい。
置塩城跡
〒671-2121 兵庫県姫路市夢前町宮置
無料駐車場:あり(登山口前の宮置緑地)
お手洗い:あり(櫃蔵神社)
置塩城跡は同町宮置地区の、夢前川東側の山にその登山口がある。
置塩城跡の住所では正確な位置が検索されないため、登山口真北の「櫃蔵(ひつくら)神社」でカーナビ設定すると良いだろう。
櫃蔵神社:〒671-2121 兵庫県姫路市夢前町宮置981
登山口や櫃蔵神社の向かいには、宮置緑地と呼ばれる夢前川沿いの広場があるが、こちらに車を停めて登ると良い。
宮置緑地には数百台駐車が可能なので、駐車場に困ることはないだろう。
城の歴史
・一代目城主 赤松政則
・二代目城主 赤松義村
・三代目城主 赤松晴政
・四代目城主 赤松義祐
・五代目城主 赤松則房
置塩城跡は「1469年、赤松政則により築城された。」というのがこれまでの通説だったが、最近の調べで「本格的に整備されたのは16世紀後半の三代目城主、赤松晴政・四代目義祐・五代目則房の頃」であることが明らかになったようだ。
しかしながら、初代から合わせると約100年間、赤松氏の居城として(赤松氏)五代にわたり城主が変わった。
元々、赤松政則は管領(室町幕府において将軍に次ぐ最高官職)細川勝元の助けもあり、播磨国守護に任じられていた。
当時は、現在のものより小規模な姫路城を本拠地としていたようだ。
そして、現在の兵庫県北部(豊岡・養父・朝来市)にあたる但馬国からの侵攻に備え、防御に優れた山城が必要になり、川沿いに播但街道がある要所のこの地に、置塩城を築城した。
しかし、赤松氏と置塩城統治の歴史は、二代目城主・義村の頃から早くもほころび始める。
後見に守護代として就いた浦上村宗が、その地位を利用して実権を握り、反発した義村を殺してしまったのだ。
その後、浦上村宗が細川家の内紛への加担(細川高国と共闘)を機に、”大物崩れ” と呼ばれる合戦で、義村の子で三代目城主でもある赤松晴政に討たれる。
しかし、その後も村宗の子である浦上政宗との争いや、出雲・尼子晴久による播磨への侵攻などにより、赤松氏の勢力は衰退していく。
四代目赤松義祐の頃には、備前や美作国の勢力拡大で、赤松氏の所領は飾東、飾西、神東のみとなった(少なっ)。
最後(則房)は、羽柴秀吉の中国攻めに対して、ほとんど戦うことなく降伏。
秀吉の権力基盤を整えるための「城割」で、「置塩城」は筆頭に挙げられ廃城にされた。
その後、秀吉の命により、1585年に則房は阿波国(現在の徳島県)の住吉城に1万石で移封したようだ。
なお、今話した歴史本をいくつも参考にしたっぽい文章は、全て wikipedia から引っ張ってきたものだ。
途中、ブログ記事のことを忘れるほど、彼らの歴史を読み漁ってしまった。
繁栄はやはり長くは続かないものだな昔から。
整備された登山道
来訪者に大変 “優しい” 場所だ。
入口には歴史を語る掲示板が設置され、登山道 Map や、城跡の全体図が示されている。
さらには、杖やトレッキングポールも無料貸し出しされ、安心安全に配慮されている。
なんて素晴らしいんだ。
40分の散歩
先ほど触れた通り、城跡までの登山道は整備がされていることもあり、比較的歩き易い。
坂道も20〜40代にとっては “楽勝” なレベルだが、歩き続けていると息は上がるので、30〜40分間の運動をするとは思っておいた方が良い(革靴、パンプス、ブーツなんかは厳禁)。
山道は落ち葉で覆われたり、坂も多いので特に下りに注意する必要がある。
私はトレッキングシューズ(ポールなし)で臨んだが、時折滑ることもあったので、スニーカーもおすすめしない。
山の中の風景は渓流などはなく、特筆すべきポイントはなかったように思う。
異次元の規模
全部で十八丁ある登山道を登ると、突如現れるのが置塩城跡。
まず山の上とは思えないほどの、城跡の規模の大きさに驚かされる。
置塩城は本丸、二の丸、三の丸と大きく3つのエリアに分かれるが、その1つ1つが広大で、曲輪(くるわ)と呼ばれる城の内外を土塁、石垣、堀などで区画した区域は、60以上もあったそうだ。
現地の木に「庭園跡が見つかった」と表示が施されていることからも、城内では人々が文化的な生活を取り入れていたことがわかる。
こんな場所に道や屋敷、庭園が広がり、お侍さんと町娘が木陰に隠れて密会をしていたのだろうか … 。
妄想族の血が騒ぐ … 。
辺りには城壁の一部であったであろう石が散乱し、この石もいつかの職人が運んでいたのかと思うと、悠久の歴史の儚さを感じてしまわずにはいられなかった。
城跡の中の森
伝二の丸に入ると、一面木々が立ち並ぶ。
かつては庭園であった場所も、年月が経ち、そこは森のような場所に姿が変わっていた。
個人的には伝二の丸の上の散歩が、この城跡で最も心地よかったように思う。
木の間をすり抜けた先では、先ほど自分が歩いてきた恐らく道があった場所を見下ろせる。
その光景や圧巻。
改めてこの場所の広さを実感出来るだろう。
頂上からの絶景
最後に、山の頂となる本丸へと足を進める。
二の丸からまた登山道を5分くらい歩くと、天井部へと到着するが、途中の本丸前ではさらに城壁が崩れ、大きな石が散乱している様子が見られた。
そしてそこから最後の坂を登ると、置塩城天井部分にあたる本丸へと辿り着く。
本丸跡は現在ただの広場のような状態で、あちこちに木が生い茂っている状態だ。
そしてそこからは、姫路市南部から播磨灘までを一望でき、その山々の連なる様子はまるで水墨画のよう。
大変美しく、もやがかかってはっきり見えない播磨灘が、逆に良かったように思う。
反対側は夢前町北部の山岳地帯が見渡せ、城跡もさることながら、この町の広大さを目にすることが出来るだろう。
置塩城跡周辺には、他にも支城であったと思われる城跡や、城下町村などがある。
またいつか夢前町赤松氏城跡巡りを敢行出来ればと思う、一人で。
現地へのアクセスの様子や、登山道や頂上の雰囲気は動画にも残しているので、ご覧になり参考にしていただけると幸いだ。
LINK【動画】置塩城跡への行き方など、現地の詳しい様子はこちら
少しでもお役に立てたなら、チャンネル登録(YouTube)していただけると嬉しいです。